借りの哲学---「恩送り」の思想は、損得を超える! [4778313937] :
読書のすすめ    カートを見る      

借りの哲学---「恩送り」の思想は、損得を超える!

1,760円

ナタリー・サルトゥー・ラジュ 高野優 小林重裕著◆人間が天動説から地動説に変わるような、 コペルニクス的転回を果たそうとするとき、 今の今まで、常識として疑いもないと言われるものの 中に、ある事柄が突然「異物」として現れる。 そういう「異物」が目の前に現れると、はじめは 誰もが拒絶する。しかし、少し立ち止まって、 その「異物」をながめていると、徐々に違和感が うすれ、よりよく進むべき道が見えてくるものだ。 みなさんには、その第一発見者になっていただきたい。 さて、私たちが常識として疑わない知識の中に、 「異物」となる一冊をご紹介しましょう。 下記に本文の一部をご紹介しましょう。 『資本主義はあらゆるものに値段をつけることによって、《借り》を《負債》に変えることに成功した。それによって、人々は誰かの世話になるといった《借り》から解放され、大きな自由を得ることになった。たとえば、学校に行くのに誰かにお金を出してもらえば、その人に対し恩義を感じ、《借り》をつくることになるが、銀行の教育ローンを利用すれば、恩義を感じることも、《借り》をつくることもない。将来、自分で稼げるようになったときに《負債》を返済すればそれでおしまいである。「社会的な関係」は、貨幣によって価値を測られ、お金に換算できるものになったのだ。 「社会的な関係」だけではない。現代の資本主義はあらゆるものをお金に換算し、商品にしようとしている。はなはだしい場合は、人間までが「商品」として扱われている。それは企業で使われる、「人的資源」、「人的資本」、「人件費」といった、いかがわしい表現からも窺うことができる。そこで売られているのは、労働を提供する人が自分のものとして持っている「労働力」ではない。「労働を提供する人」自身が売られているのである。 それはともかく、資本主義が《借り》を《負債》に変えることに成功した結果、人々はある意味で、社会のしがらみから自由になった。だが、それと同時に、血縁や地縁を通じて受け継がれてきた「誰かに何かを与え、与えられた誰かがその《借り》を返す」という《借り》のシステムを失うことになった。それはとりもなおさず、「人間関係」を失うということである。 だが、はたしてそれでよいのだろうか?私たちは《借り》のシステムを、《借り》が表す「人間関係」や「文化」を切り捨ててしまってよいのだろうか?もちろん、よいはずがない。私たちは、いまこそ《借り》を見直さなければならない。《借り》を見直して、もう一度、社会のなかに取り入れるのである。中略 人が自立するためには、まず誰かから何かを与えられる必要がある。そして、しかるのちに、誰かに与えるという経験をしたとき、人は真に自立した存在になるのである。』 そしてまたこう書かれている。 『人は他人に頼り、また他人に頼られて生きているのである。こうして、《借り》という輪が鎖となり、人々をつないでいく。人々は「貸し手」になったり、「借り手」になったりしながら、お互いに依存して生きていく。そこにはもはや、「自分は誰にも《借り》はない。だから、与える必要もない」とうそぶく、行きすぎた個人主義者もいない。人々はお互いに依存しながら、相互の負担を軽減し、共通の責任感を持って、社会に貢献し、また社会から恩恵を受けるのだ。』 いかがでしょうか? 「異物」を感じるでしょうか? しかし、私たちは今回のコロナ騒ぎで、みんながみんな繋がっていることを 体験した人も少なくないのではないでしょうか。 執行草舟氏も本の中で「恩」の最優先の思想を明らかにしていました。 私たちの誰もが、先祖からたくさんのモノを与えられています。 それを今生きているうちに返さなくてはいけません。 日本には「恩送り」という言葉が残されています。 私自身も多くの方に(本も含む)たくさんの勇気や智恵や元気を いただいた借りがあります。それをこれからどんどん返していけるように しなきゃならないと、この本に出会って痛感いたしました。でも、 ここに書かれている智恵に接して、もりもりと本来の気が湧き出ているようです。 「恩送り」の思想は、損得を超えたパッションを生み出します。 是非ご一読をオススメします。

カートに入れる:

  • モデル: 4778313937


読書普及協会