7月の「清水克衛が選ぶ3冊!」2冊目『身体の聲』 [4569842806] :
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7月の「清水克衛が選ぶ3冊!」2冊目『身体の聲』

1,404円

光岡英稔著◆最近、清水店長がブログにてご紹介の「ある本」のうちの1冊が、こちらの『身体の聲(こえ)』です。偶然、一緒に読んでいた『あわいの力』とも一致する部分があり、「身体感覚」そして、「肚」をテーマに、今!お読みいただきたいタテ糸の名著になります。あれこれ書くよりも、清水店長のブログのご紹介の文章をお読みください。→「近頃よく感じることがある。いろいろな会や懇親会などで、一方的に話をしている人が必ず一人か二人いる。時間が経ち宴もたけなわになってくると、その人の周りには人がいなくなっている。ある本(=こちらの『身体の聲』)に下記のようなことが書かれていた。 『「自分とは違う他者」という違いを身をもって体験し、知っていくことが人間の知性にとって欠かせないものであったにもかかわらず、私たちは既知に基づく「客観事実な抽象的な集合体」に依存し、自身の身体を消す方向へ向かっています。コミュニケーション能力の重視やSNSでのバーチャルなつながりが意味しているのは、私たちは他者との距離を取りたいが、身体のコンタクトのない他者性を欲している、ということです。その一方、そうして自らを閉じれば閉じるほど、外に自分とは違う他者がいることが分かるわけです。他者性は発生しても、閉じているだけに外部との接触が怖くなります。その怖さを補うために、客観性に基づいて話したり、他人が与えてくれたラベリングに従う自分を演じようとします。そうなると信頼している人だからこそ「本当のことを言わない」こともあります。信用できる相手だからこそ、期待通りの自分を演じないといけない。そうでないと正気を保てないわけです。何者かを演じて関係性を保ちつつ、演じている限りは他人とは親密な関係になれない。しかし他者に向かいたい衝動がある。この二極化に現代人は裂かれています。そういう傾向は世界的な潮流としてあるのかもしれない。そういう意味で近年目立つのは、自分だけに成立する閉じた論理の構築を行い、他人との共感性や同調性を求めないで一方的に話をする人の多さです。 論理とは本来は動的なものであり、変化していくことでした。しかし、それが今や固定化した観念となり、それがゆえに本人にとっては絶対的な確定性として感じられるものになっています。論理と変化を止めた固定観念は相入れないものであったはずですが、それらが組み合わさったことで「論理性のない論理」が生じます。以前であれば、それは箸にも棒にもかからない屁理屈として聞き流されていたのでしょうが、今は「論理性のない論理」であればあるほど、周囲が勝手に解釈した上で賛同をするようになっています。「論理性のない論理っぽい言葉」を語る人の特徴は、それが誰の体験に基づくものなのか分からない客観的事実や誰かの主観を、自分の経験や体感を通さずに語ることです。それが支離滅裂であってもウケてしまうのは、「当事者としての考えのなさ」が客観性に映り、聞く側の願望や期待といった物語を投影させやすいからでしょう。』 『身体の聲』より―「論理性のない論理っぽい言葉」を語る人の特徴はもう一つあると感じています。それは、「頭がいい」ということです。だからどこかから得た情報をいくらでも覚えることができるからでしょう。こういう人にお会いすると本当にもったいないなーと感じるのです。じっくりと上記の文を読み込んでいただいて、早く気づいてほしいと願います。」以上、清水克衛ブログ「「自閉する身体?」より

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