稽古の思想---そこに秘められた「智恵」を学ぶ 成功から成就へ [4393313039] :
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稽古の思想---そこに秘められた「智恵」を学ぶ 成功から成就へ

2,160円

西平直著◆コンビニが営業時間や店舗数の変更を言い出した。 ぼくに言わせりゃ遅過ぎる! 2011年東日本大震災の時に、あの原発事故の時に、 今までの方向から逆のものさし(価値観)を 大事にしていなければダメだったのだ。 ちなみに読書のすすめはあの時、営業時間を 縮小させた。今では「一見さんお断り」まで縮小させてしまっている。(笑) 真理はこれから加速をつけて益々逆の価値観に ふれてゆく。 拡大から縮小充実、有限から無限、成功から成就、 練習から稽古。この流れは人間の作為では 止められるわけがない。 だから逆のものさし思考が大事だと申し上げている。 学生の頃、「練習」という言葉を使ったら、柔道部の監督に叱られた。 「稽古といいなさい」と。 「稽古」ということを改めて考えてみることによって、 間違いない未来が見えてくる。 練習、レッスン、トレーニングとは、どうちがうのか、 どう同じなのか。そこに秘められた「智恵」を学ぶことは急務だと感じている。 この本には感銘を受けたのと同時に、 これから向かうべき真理の道筋がはっきりとつかむことが出来た。 下記に一文ご紹介しよう。 『稽古は何を目指すのか。舞台(試合・パフォーマンス)が「成功する」と喝采を浴び、注目され、社会的評価を受ける。そして次の依頼が来る。それは稽古する者にとって喜びであり励ましである。 ところが、そうした成功とは別の「納得」がある。世阿弥は「落居」という。「然るべき過程を踏んだ後に、落ち着くべきところに落ち着いた」とでも理解するしかない、ある種の満足・納得である。 本書は「成就」と呼ぶ。世阿弥もこの言葉を使ったが、特に「成功」と対比させて用いたわけではなかった。それに対して本書は、世阿弥の「落居」を「成就」と理解し、「成功」と対比的に用いる。 成就は、成功と重なることもあれば、重ならないこともある。重ならない場合、たとえ結果がよくなくても「成就した」と実感される。然るべき稽古を積んだ後に、落ち着くべきところに落ち着いたという特殊な満足感である。個人的な思い込みではない。あるいは、自分で自分を納得させようとするのでもない。当事者の実感としては、何の迷いもない、誰から批判されようと、そう思わずにはおれない、手応えのある納得なのである。 どうやら稽古は「成功」を目指しつつも、同時に、それとは別の位相の「成就」を求めている。良い結果を得ることが目的であるのだが、同時に、よい成果が出ようが出まいが、それとは関係なしに、稽古それ自体に意味があると考えている。 そのつど欲を濾過してゆくプロセス自体に意味がある。身体のゼロポイントに戻り、そのつど新しく、その時その場の状況に対応してゆくという、そのこと自体に意味がある。』 執行草舟社長は「不幸の哲学」を提唱されている。 これは簡単にいってしまえば、一見苦にみえる物事自体に本当の喜びがあり、幸福がある。 幸福を求めれば不幸になるという逆転現象がこれから起きるということだ。否、起きていると 言った方が確かだろう。 「稽古」とは、まず大いに学び学習する。これはまだ「練習」と同じだが、 「稽古」はこの次に「脱学習」をしなければならない。学習から離れる時、 やがて苦を経て、コインの裏表の関係が如く、一元論になったときに初めて道理を知る快感を得て、 ステージが上がり、また学習に戻るという無限循環が生じてくるのだ。 これを「成就」というのだろう。 いまどき「成功」などと時代遅れの言葉につられると、今騒がられている ちょっとの投資で儲かる、成功するという輩に引っかかるのが落ちなのだと わざわざ我々に証明してくれているではないか。ご用心ご用心・・・・・。 私たちは「稽古」という概念に立ち返らなければならない。 「成功」などというインチキな希望より、「成就」という言葉に希望と明かりを見つけてゆこう!

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