明治の光 内村鑑三---近代日本最大の逆説的存在 [4865781533] :
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明治の光 内村鑑三---近代日本最大の逆説的存在

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新保祐司著◆今年は、明治維新からちょうど150年がたった年です。 明治政府が急いで行った”近代化”の路線は、今も私たち日本人が 疑わない路線だといっていいのでしょう。しかし、本当にそれでいいのでしょうか? 明治の近代化の立役者といえば、岩倉具視、伊藤博文、大隈重信、山縣有朋などが そうでしょう。しかしこの時代を彼らとはまったく逆の思想を言い続けた日本人も 多くいたようです。その代表が、内村鑑三です。 今までも、内村鑑三の本はオススメしてきましたが、なぜ今、 内村の思想を現代に住む私たちは学んだ方がいいのか? それを明確に教えてくれた本に出会いました。 内村は、先にあげた岩倉具視、伊藤博文、大隈重信、山縣有朋たち、 明治維新の功労者を崇拝するのはやめようといいます。 なぜなら、彼らは無宗教であり物質至上主義だからです。そして、 西洋の文明を神ぬきで技術だけを輸入してしまったからです。それを内村は、 「毒消し無しの毒物を日本に輸入した」と、そんなものを有り難がっていることに対し、 大きな批判者となったのです。 下記に一部ご紹介しましょう。お読みください。 『平成30年は、明治150年である。この記念の年には明治という時代について多方面から様々な回顧がなされるであろうが、もはやその文明開化の達成を称揚するのは余り意味のあることではないだろう。そうではなくて、明治という時代と明治人を貫いている「明治の精神」をとりあげなくてはならない。これが、これからの日本と日本人にとってとても必要なことだからである。 しかし、その「明治の精神」というものは、ある意味で多様な現れをしているであろう。そこで重要なのは、「明治の精神」の中で、代表的「明治の精神」として、誰を問題にするかということである。私は、それは内村鑑三(1861ー1930)だと思う。 明治100年にあたる昭和43年(1968)にも、明治の回顧が行われたが、このときは、明治という時代のとりあげ方も当然、変わってくることであろう。昭和43年といえば、まさに日本の近代のただ中であり、文明開化の明治という観点が重視された。明治の文明開化路線の上に、昭和元祿の繁栄もあったからである。そのときに、「代表的」「明治の精神」とみなされた者は、文明開化、あるいは日本の近代化に貢献した人物に他ならなかった。 しかし、明治100年からの50年の間に起きたことといえば、大きくいえば近代の終焉である。文明開化の路線への疑惑である。この半世紀という長い期間には、様々な政治的変化、多様な経済的変動、文化的な諸事件、いくつもの天災などがあったが、事の本質でいえば、近代の終焉なのである。明治100年のときと明治150年の今回では、「明治の精神」についての見方は大きく変わらなくてはならない。 近代というものを、人間の時代であるとすれば、近代の終焉とは、ヒューマニズムの終焉であり、文化主義の失墜である。そして、人間の時代としての日本の近代に対する最も根源的な批判者であり、近代の終焉がもたらすこのような事態に対峙し得る精神の人は誰かといえば、内村鑑三なのである。近代の達成としての明治100年のときとは違って、近代の終焉を迎えた明治150年のときには、明治という時代の文明開化の面に対する根源的な批判者である内村鑑三こそが、「代表的」「明治の精神」として立ち現われて来るのである。 中略 明治100年の日本の文明は、「砂の上に立てられたる家の如き」ものだったのではないか。経済的繁栄と文化的喧噪に正気を失い、そのことをある程度は気がつきながら、やり過ごしてきたのではないか。その結果が、明治150年の今日の日本の姿である。明治150年を迎えるにあたって、やるべきことは、今にして土台を据えることである。「基礎」を持たない文化は空しい「果」の消費にうつつを抜かすことではない。 そして、この内村鑑三という根源的な批判者は、しかし単に批判していただけではない。根源的な批判者であることによって、実は逆説的に、日本の近代を根底から支えていたのである。それは、「隅の首石」として存在していたと言い換えてもいい。 中略 明治維新から始まった日本の近代化は、まず文明開化であり、敗戦を経て、戦後は高度経済成長、そして情報化社会であったが、その末路は、東日本大震災(天災)と福島原発事故(人災)であった。 この破局を踏まえて、日本人は、日本の近代化の問題を根本から問い直さなければならない。今日の苦境を、日本人がこれまで得意としてきた、対処療法的なやり方(例えば節電というような)でやりすごそうとするならば、もっと大きな(そして、もしかすると致命的な)破局を将来に、もたらすことになるだろう。 このような大きな時代の変換期、いわば時代が一度、焼野原になってしまったような状況の中で、明治維新以来の文明開化による日本の近代そのものが問い直されならないときに、内村鑑三が偶然にも(決して偶然ではないかもしれない)生誕150年を迎え、振り返られることの意義は極めて深いといわざるを得ない。何故なら、内村鑑三こそ、日本の近代の最も根源的な批判者だからである。』 いかがでしょう? 内村の生き様は、当時の若者をたいへんに刺激したようです。 彼の磁気は、砂鉄が立つように若い人たちの精神を垂直へと変化させたといいます。 今の日本人の多くは、まったく水平性に支配されています。この大変化を楽しむ垂直の性根が どうしても必要な時代であることは明らかでです。 しかし、横野郎(この意味の詳しいことは「魂の燃焼へ」をご参照ください)でいることに、 何の疑いももたないことが常識であり、普通であるのですから仕方ありません。 私たちも、内村鑑三の生き様から、垂直の精神を取り戻し、そしてこの世に活かしてまいりましょう。 明治から昭和にかけて活躍した徳富蘇峰はこういっています。 「内村さんのような人が明治に産出したことは明治の光だと思う」 ぼくは「一人庶民革命」という言葉をよく使いますが、 気付いた人、お一人お一人が、光となる。その覚悟が後世への最大遺物と なるのではないでしょうか。

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