仏教百話---耳あるものは聞け!ふるき信を去れ! [4480020185] :
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仏教百話---耳あるものは聞け!ふるき信を去れ!

713円

増谷文雄著◆「いい本は力にある!」 ほんとそうですね。今日もぶったまげた本に出会いました。 この本は、仏教といっても、親鸞でもなく道元でもなく、 空海でもなく日蓮でもない、お釈迦様その人の言葉を 100話集めて、悩み多き現代人にもよーくわかるように 書かれています。 仏教は一元論です。 これは善悪とか上下とか、左右とか二つに分けない思想です。 二つに分けて考えることを二元論といいますが、 これだと対立思想になり、本当の問題解決にはなかなか至らないものです。 しかし、二元論だと、理解しやすいという面があって、 ついつい二元論という考え方に走りやすいのですが、到底真理とは いえませんね。 現代日本人は、この二元論に慣れてしまっているようです。 すぐに善悪という色をつけて物事を判断し、上下で物事を捉えるので、 本来、自分にいらない劣等感をいだきがちです。 ところが、一元論は言葉で説明しずらいのです。 だから、世界的仏教学者である鈴木大拙の本は中々読み解くには 難解な言葉使いになってしまいます。 しかし、みなさんご心配なく! お釈迦様は言葉で説明することが、難しいので 「方便」という喩え話で真理を説明してくれているのです。 方便で説明されると、「あ!そうか!!」という閃きにも似た体験に繋がり、 あなたを一段高いレベルへと引きあげてくれるでしょう。 下記に一部本文からご紹介しましょう。 『仏陀は河のほとりで、一樹の下に静座していた。そのとき、 仏陀の心に、ふと迷いの思いがやどった。 「いま、わたしが悟りえたところのものは、はなはだ微妙にして、 容易に人々に理解されがたいであろう。もしわたしが説いたとしても、 人々はわたしの言うところを了解せず、わたしはただ疲労困ぱ いするのみに終わるであろう。」 そのような思いにとらわれた仏陀の心は、しだいに、沈黙に傾いていった。 それは、仏陀にとって一つの危機であった。なんとなれば、 仏陀の悟りがいかに素晴らしいものであったとしても、 それが人々に向かって説かれなかったならば、それはただ仏陀ひとりの心中に 蔵せられて、やがて、仏陀の死とともに、地上から消え去ってゆくよりほかはない。 仏教はついに成立せずして了らねばならない。 だが、仏陀は、やがて、沈黙に傾いた心をひるがえして、 伝道説法の決意をかためるにいたる。その経緯を、 経典は、「梵天の勧請」という神話的手法をもって描き出している。 すなわち、そのような思いにかられた仏陀の心中を知った梵天は、 「それでは、この世界は滅びるであろう」と憂いて、仏 陀に説法伝道をすすめるために、仏陀のまえに姿を現し、 仏陀を礼拝して言った。 「世尊よ、法を説きたまえ。この世界には、その眼を塵に おおわれること少なき人々もある。彼らは、法を聞くことができれば、 悟りうるであろう。」 そこで、仏陀は、人々にたいする慈善の思いをおこし、もう一度、 心眼をもって、世の人々を観察した。その時、仏陀の心眼に映じた世の人々の さまを、経典は、池の中の蓮の花にたとえて語っている。 池の中には、青蓮、紅蓮、白蓮が花をつらねていた。そのあるものは、 なお泥中にしずんだままで花を開いていた。またあるものは、 やっと水面に浮かんで花を咲かせていた。またあるものは、 ぐっと水面を抜き出でて花をひらき、泥中に生いながら、 泥水のけがれに染まぬものもあった。 そのような、世の人々のさまを観察して、仏陀は、 ついに説法伝道の決意をかためて言った。 「いまわれ甘露の門をひらく。耳あるものは聞け。ふるき信を去れ。」 (注 甘露 それを飲めば不死をうるという酒。仏教の教法をいう。)』 いや〜、お釈迦様が諦めてくれなくってよかったですね!(笑) ドクスメにも悩みを抱えてこられる方がおりますが、 この本に100個も出ている方便を読めば、きっと解決はされるでしょう。 ぼくはこんな貴重でわかりやすい仏教書は滅多にないと思いますよ。

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