【幕末三舟伝】---変事が我に出来したときに、少しも動揺ぜず [4336049841] :
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【幕末三舟伝】---変事が我に出来したときに、少しも動揺ぜず

3,024円

頭山満著◆つい先日、息を切ってドクスメに来たお若い男子がありました。 話しかけてみると、 「この本を一刻も早く読みたくて駆けつけてきちゃいました!」 という元気な回答でした。彼が一刻も早く読みたいと思ってしまった本は、 小倉鉄樹著 【おれの師匠 OD版----山岡鐵舟先生正伝】 ドクスメのHPか私のブログかを読んで、心に火がついたのでしょうか。 本を手にしてとっても嬉しそうでした。その走りたくなる気持ち、 私もわかるような気がします。だってこの本は、確実に読む者に 力と勇気をくれる波動の高い本だからです。 もっと山岡鉄舟の波動に触れてみたい。この本を読んだ方はみなさんそう 思うのではないでしょうか。私もその一人です。 そして、なにか波動の高い鉄舟本はないか探してみたら、ありました! 頭山満著【幕末三舟伝】 三舟とは、言わずと知れた勝海舟、高橋泥舟、および山岡鉄舟のこと。 ドクスメではすでにお馴染みの、頭山満が、武劉生という人物に、 どうしても頭山翁の口から三舟の話を聞きたい!その強い彼の思いに 応える形で、こうして一冊の本になったのです。 下記にちょっと長いですが、頭山満氏の「序」の一部をご紹介しましょう。 現代に生きる私たちの魂にもしっかり届く言葉ですよ。 「今日は、あたかも復興祭だ。家々戸々、旗をたて、提灯をつるして、 お祭り気分でうかれたっている。しかしだ、六か年前、東京が大震火災に 襲わるるそれ以前において、すなわち明治元年春、八百八町は、 すんでのことに焼野原となるところじゃった。幕軍の防衛も、官軍の攻撃も、 火を放って、江戸を焼きはらう戦略じゃった。幸いにして火難を免れたのは、 ひとり東京市民の慶福のみではない。日本国民全体の喜悦である。 しかしてこの功労者が三舟である。 突然、三舟という。今の人々には解しかねるかもしれない。 勝海舟、高橋泥舟、および山岡鉄舟、この三人は期せずして、 号に「舟」の一字を用いている。よって、一般に三人を併称する場合には、 「三舟」というている。わしは、歴史家でもなく、考証家でもなく、また文章家でも ない。そういうことは、はなはだ得意ではないのだ。 ただ、三舟の人物には、傾倒しているので、おりおり、来客に対して、 座談のうちに、かれこれ当時のようすを噂する場合がある。あるいはまた、 その詩句、その語録などを探って、これを揮毫(きごう・筆をふるう意)して 与えることもある。いずれも、断片語なのだが、これを秩序正しくまとめたのは、 武劉生(この本の編者)の努力である。述話ももとより 粗笨(そほん・あらくて雑の意)で、疎略で、ほんの根軸となるべきものを 授けたにすぎぬが、この骨骼を中心として、肉を盛り血を注いで、 精彩あるものに仕上げたのは、同じく彼の苦心である。中略 西郷南洲翁は、その遺訓のうちにおいて、こういうことをいうておる。 『変事が我に出来したときに、少しも動揺せずして、その変に応ずるものは、 事の起こらぬ前に、しかと心に決するところがなくてはならぬ。しかして 一朝変起こらば、ただそれに応ずるだけのことにいたさねばならぬ。 古人曰く、「大丈夫の胸中は、洒々落々、風光青月の如く、その自然に任す。 何ぞ一毫の心を動かすものあらんや」と、こういう覚悟さえあるならば、 変に逢うて、動揺するはずはない』 これは、翁が薩人岸良真二郎に教えたところである。 付け焼刃は、すぐに剥がれる。 三舟の人物を剖検するに、彼らは禍乱のうちに、突如として現出したる風雲児 である。さりながら、南洲翁がいう如く、事の起こる以前において、 大丈夫の心田を培うことを忘れなかった。もしこれあらざりせば、いかんぞ、 一大難局を収拾することができたであろうぞ。海舟の神、泥舟の気、鉄舟の力。 これみな平生無事の際において養成したるところ、しかして一朝有事の際に おいて発揚したるところ、這間の消息は、わしがとくに強調しておいた。 というのは、ほかでもない。目前の世相が、いかにも不愉快千万だからである。 日本丸は、無事に航海を続けているのじゃない。 いつ嵐に出会うかわからぬ不安が募っている。 このとき、船長となり、機関長となるものは、何人であるかは知らぬが、 三舟の行蔵趨舎(こうぞうすうしゃ・出処進退の意)にならって、この危局に 善処し、船を転覆させてはなるまいぞ。それには、なによりも次代において 枢要(すうよう・かんじんなところ。かなめの意)の地位に坐する若い人々に、 三舟の風神を伝えることは、断じて徒爾(とじ・いたずら、むだの意)ではない。 ことに、彼らが平生いかなる用意のもとに、人物をつくりあげたか、 その一点を明らかにすることが緊要だと考えたわけである。 明治元年三月十三日。 大正十二年九月一日。 この両日は、東京市民の心奥に刻みつけておかねばならぬ。 すなわち前者は、西郷南洲翁、勝海舟翁両人の会見した当日であって、 江戸攻撃中止の命令が下ったのだ。後者はいうまでもなく、大震火災当日だ。 一は戦火を防ぐことをえ、他は天火を防ぎえなかった思い出の日であるのだ。 復興祭を行なって、市民に新鋭の力を注入することも必要であるが、 さらにまたその以前において、わが東京を火の海から救い出した 三巨人の慰霊に対しても、感謝せねばなるまい。 この小書の刊行も、いささかその目的にそうところがあるならば、 これもまたご奉公の一端である、わしは、そう信じている。 昭和五年庚午三月二十六日 頭山満」 いかがでしょうか? 2011年3月11日、東日本大震災のとき、私たちはみんなで節電をし、 ガソリンやエネルギーを大切にすることを、あの時骨身にしみたはずが、 もうどこえやらですね。今の政治家の先生方も、表の顔で良い事ばかりを 言われても、こんなに裏側をみせてもらっちゃうと当てには出来ない ということが周知の事実となってしまいました。 「逆のものさし講」でもいつも提案しているのですが、私たちだけは しっかりと生きていこうと。勝海舟、高橋泥舟、山岡鉄舟のように、 いざという時に、肚で考え、肚で行動が出来るように、普段の読書体験を もって動揺しない肚をつくることが重要です。 幕末三舟である、勝海舟、高橋泥舟、および山岡鉄舟の肚具合を、 頭で理解するのではなく、いつも肚で考え肚で行動した頭山満翁の 語りでもって三舟を感じられるとはなんと幸福なことでしょう。 こういう本との出会いは普通滅多に訪れません。 昭和5年に若者たち向けて語った頭山満翁の言葉を 現代の若者はちゃんと受け入れることが出来るだろうか? いや!受け入れなければならないと信じます。 ちょっとかっこつけすぎましたかね。(笑)

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