安楽の門----大川周明自伝的宗教論 人間はどうすれば安楽に暮らせる [4906917495] :
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安楽の門----大川周明自伝的宗教論 人間はどうすれば安楽に暮らせる

5,832円

大川周明著◆ドクスメで以前から人気の「西郷隆盛ライン」ですが、 【日本二千六百年史】の著者、大川周明も頭山満を師として 仰ぎ、その思想を作っていたようで、「西郷ライン」に いれなければなりませんね。 彼は民間人としてただ一人A級戦犯となったのですが、 裁判中に精神を病んだため、その罪は裁かれずに放免と なった人物です。 大川周明が、もし精神を病んでいなければ、東京裁判の 不当性を理路整然と語り、もしかしたら全ての裁判の結果を 覆すことが出来たのではないかと言われているようです。 その周明が「人間はどうしたら安楽に暮らせるか?」を テーマに書かれた本がいまも残っています。 大川周明著【安楽の門---自伝的宗教論】 この本の一部を下記にご紹介しましょう。 「頭山翁の風格を語りて最も要領を得ているのは、 私の知る限りでは三宅雪嶺翁の言葉である。 三宅翁は下のように言う。 「頭山翁はいはゆる腹の人である。 腹で承知し、腹で決断し、腹で笑い、腹で怒り、腹一つで世に立ち、 国家社会に貢献するのであって、手の人ではなく、 もとより口の人でない。腹が手よりも動き、口よりも物を言う。 しかし手が動かぬのではなく、 動かせば随分と動き、普通の人の動かし得ない所に動く。 不器用ではなく器用な人で、立身しようと思えば立身も出来、 儲けようと思えば儲けも出来るが、ただ立身や儲けを数の中に 入れない。口に至っては有るも無いも同然、オシかとも 見えるけれど、気に向くか、向かなくても何かのはずみか、 次から次とほとばしり、或いは春風駘蕩的に愉快、或いは 秋霜烈日的に厳粛、或いは多情多恨、綿々としていて尽きない。 老子に大弁はとつなるが如くとあるが、翁はある点で大弁と 称せずに置けぬ。必ずしもかんげんではなく、必ずしも多言でなく、 時と場合に応じて中(あた)り、中らずといへど遠からずと すべきところ、口から先に生まれた者も及ぶまい。」 まことにその通りである。腹の人とは常に全人格をもって生きる 人のことである。翁は驚くべき旺盛な精力と、極めて明晰な 頭脳とを恵まれていたから、天凛すでに抜群であったのに加えて、 青年時代から一見天馬空を行く如く奔放不羈に振舞って来たに 拘らず、実は恐るべき真剣な鍛練修行を積んでいる。 さればこそ私が親炙(しんしゃ)した五十以後の頭山翁は、 三宅翁が「荒削りのように見えつつ木理精緻、斧鑿(ふさく)の跡に 天品の妙を見る。」ような人格を錬え上げ、 その全人格が翁の一切の言行に現れていたのである。 しかし私は、頭山翁の真面目を最も簡潔にかつ適切に 示しているのは、翁の無二の私淑者藤本尚則君の大著 「巨人頭山満」の開巻劈頭にある翁自身の言葉であると信ずる。 翁曰く「万国を併せて王たるも、こもを被って一椀の主たるも、 形の上のことなら蟻の塔の大小も同じで、畢竟児戯にすぎず、 彼を栄とし此を辱とし、あるいは喜びあるいは悲しむは、ケチな話。 ただ一心の天に通ずるものあらば、布衣(官位のない人。庶民の意) といへども決して王者に劣るものでない。」 頭山翁の偉大なる人格の至極の根源は、実に翁の「天に通ず心。」 に求めねばならぬ。 翁が神社参拝を怠らなかったことは天下周知の事実である。 翁は日本の神々を拝んだが、私の見るところでは、 其れ等の神々のうち最も篤く明治天皇の神霊を崇めていた。 翁の神前礼葬は、地上に端坐稽首、黙祷数分間に亘る 厳粛無比なるものであった。 そして翁はこの神前礼拝が「この世で一番気持ちのよい時だ。」と 言っていた。 翁の心はこの礼拝によって天に通じ、胸中一物なく、 身辺一物なき無私無我の境に入り、存分に法悦を味わった ことであろう。しかも禅を学んだ大西郷が自分を仏教信者と 言わなかったように、神々を拝む頭山翁も自分を神道信者とは 言わなかった。ただ「一心天に通ずる。」生涯が頭山翁の生涯で あり、それは大西郷が常に「天を相手」に生きたのと同じく、 真実の日本人に共通なる宗教的境地である。」 やはり当代一の智慧者といわれる大川周明も、頭で考えることの 限界を感じ、頭山翁の肚で考えることの重要性に気づいたようです。 悩み多き現代人。 この本に赤裸々に書かれている大川周明の自伝的宗教論は、 いまに生きる私たちにも当然大きな示唆を与えてくれるでしょう。 少なくとも私自身は、 「腹で承知し、腹で決断し、腹で笑い、腹で怒り、腹一つで世に立つ」 ことが、理会出来たような気がします。

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