自力と他力---「和魂洋才」の復活! [4480431394] :
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自力と他力---「和魂洋才」の復活!

734円

五木寛之著◆ただいま、「逆のものさし講」では、 自力の世界と他力の世界についていろいろと学んで おります。なんでこんなことを学んでいるのかと言えば、 私たち日本人は、明治維新以来、ずーっと「自力」という 思想でがんばってきました。しかし、この時代にはそろそろ 合わなくなっているのではないかと考えたからです。 まだこの国は、自力の世界で進んでいこうという風潮ですが、 このシステムはそろそろ錆びて来たという感覚はみなさんの 目にも明らかではないでしょうか。 だから「逆のものさしを持とう!」と叫んでいるのです。(笑) そんなことを考えていたら、本日も運命的出会いといっていい 本に出会ってしまいました。 『自力と他力』五木寛之著 「他力」だなんていうと「他力本願」という言葉を思い出すかも しれません。人に頼るという消極的な意味で捉える方も多いと 思いますが、真実はまったくその逆です。 この本から下記に引用してみましょう。 「他力は自力の母である、と私は思っています。自分の力は 大自然の前では無力である、とわかったとき、その気持ちが 訪れてきたことこそ他力の働きではないでしょうか。 「自他一如」 という言葉があります。私も最後はそこにいきつくのだろうと思います。 しかし、それは単に自力と他力が左右相対して並ぶことではありません。 また、他力と自力は上下の関係でもないのです。 人はベストをつくすべきだ。他に頼らずに自分の足で立つべきだ。 そう信じ、しかしそれができない、という絶望のどん底に立ったとき、 それこそが他力が訪れた瞬間だと言えるのではないでしょうか。 他力という思想は、真の絶望から発する思想だと私は考えています。 安易な希望から生まれる思想ではないのです。 人間についてとことん絶望しきったところから他力への視線がひらけます。 自分に対する自信も、自負も、すべてが失われたとき、 人は他力を確信するのです。 俗にいう「他力本願」、人まかせの考えかたと正反対の思想が 真の「他力」だと言っていいでしょう。人に頼ることができない。 そして自分の限界もはっきり見えた。 これ以上絶望することさえできないどん底を自覚したとき、 私たちは他力の感覚に出会う。 私たち一人ひとりは、単独でこの世に生まれてきたのではありません。 母の胎内に育まれ、母の産みおとす力によってこの世に誕生しました。 スタート地点からすでに他力に支えられて生きてきたのです。」 私もそうですが、現代日本人は「真の絶望」を嫌います。 しかし、私たちの歴史を積み上げてきた英雄は、真の絶望を 感じとり、そこに憧れ、そして行動というエネルギーに変換して 歴史をつくってきてくれたのだと思っています。 とは言っても、現代人にはもうすでに絶望を嫌うというだけではなく、 絶望を感じ取れなくなっているのではないかと思い当たるのです。 「健全なる危機感」といっていますが、これは逆のものさしを持てば 必ず感じ取れるはずです。 そう言ったことが書かれている箇所がありました。 下記を読んでみてください。 「いま、喪失について考えると、第一次世界大戦後は 「ロストジェネレーション」の時代だといわれました。 それまでの大いなる理想が、崩れ去った時代です。 ヒューマニズムも、国際協調も、近代科学の未来も、 毒ガスや戦車という戦争の現実によって一挙に覆われてしまう。 そうした時代背景が、いったい俺たちは何を信じて 生きていけばいいのだろうか、という茫然自失した人びとを生みました。 そうした人びとには、たとえばヘミングウェイやフィッツジェラルドがいます。 ヘミングウェイはスペインの内戦に参加し、フィッツジェラルドは 夜ごと酒浸りになる。身を焼くような喪失感が、 彼らを四方八方へと駆り立てたのでしょう。 しかし、いまの世代の人びとには、彼らの感じたような喪失感は あまりないのではないか。なぜなら、失うべき理想がはっきり 確立されていない時代だからです。 人間性やイデオロギーに対する信頼も、信仰という感覚も、 生まれたときからすでにない。つまり、最初から失うものがないのです。 それを私は、ロスト感覚のロスト、「喪失感の喪失」と呼んでいます。 都会の空気は最初から汚れていると思っている人は、 汚れた空気に驚くことはありません。それと同じように、 警察官や教師が事件を起こしても、「そういうこともあるかもしれないな」 ぐらいに感じてしまう。信頼すべき権威を感じていないから、 それが地に落ちたところで「別に・・・・・」としか思わない。 この「別に」という感覚が、いま、社会に蔓延しているように感じられます。 自分たちが何かをロストしている感覚さえ失っているから、 喪失感に悶えることはないのです。社会に対する絶望感や 喪失感すら失われているというのが、現代という時代なのだという気がします。 では、私たちはどうしたらいいのでしょうか。 こんな時代に大切なことは、まず、自分が何かを失っていると認識することです。 自分たちはロストしている、大事なものを失って迷っている、 と確認すること。そこが出発点ではないでしょうか。 登山をして霧に巻かれた人たちは、迷ったことに気づかずに どこまでも歩いていくから下山できず遭難するのです。 遭難しないためには、自分は道に迷ったのではないか、と気づいて、 あらためて地図を確認する。迷ったことを認識することが大切なのです。 自分たちが大きなものを喪失していると気づいたときに、 すでにその喪失は埋められはじめているのではないでしょうか。」 いかがでしょう? 「自分たちはロストしている、大事なものを失って迷っている、 と確認すること。そこが出発点ではないでしょうか。」 この確認こそが、縦糸の読書と「逆のものさし講」をよる意義だと 考えています。 「逆のものさし講」をはじめてから、4年目になります。 ここで学んでいる方々は実に立派に「健全なる危機感」を持って、 思考の深化を果たしております。 明治以来行われてきた「自力」の思想は発展途上の国の思考法です。 もうそろそろ本当の先進国になっていくためには、 成熟した大人の「他力」の思考法に移っていかなければならない。 著者の五木氏もそう願っておられるようです。 そんなことが書かれていました。下記を読んでみましょう。 「この世の中には、目に見えるよう世界と見えない世界があります。 日本人は古来、目には見えない世界に対する畏怖の感情を持ってきました。 たとえば「天罰があたる」とか、「おてんとうさまが許さない」という 言いかたをします。そこには、人間の世界以外の 何かが存在するという感覚がありました。 もうひとつの見えない世界があるという感覚。 現実の世界では罪を免れても、天はそれを許さない、罰があたる、 おてんとうさまはちゃんと見ているよ、こうした言いかたで、 見えない世界の力の実在性というものを、日本の庶民たちは、 いつもどこかに感じながら生きてきたのです。中略 日本人は明治以来、「和魂洋才」の国を目指して近代化を進めてきました。 明治政府は国家神道、天皇制を「魂」として、そのうえに 西洋の知識や文明を接木した。 そうやって明治、大正、昭和と富国強兵の旗を掲げてやってきたのです。 それはある程度まで成功したかもしれない。しかし、 敗戦でこのシステムは崩れ去りました。もう和魂洋才では 通用しないということに気づいたのです。 そこでどうしたかといえば、今度は「無魂洋才」でいこうと考えたのです。 魂はなくともシステムだけあればいい。 テクノロジー、産業の成長発展のみを急ごうと進んできた。 そのうちに魂は生まれてくるだろうと、日本人はひとまず魂を捨てたのです。 しかし、新たな魂は生まれてはきませんでした。 そうして精神性を抜きにしてデモクラシーを導入してきたツケが、 いま一斉に吹き出しています。 魂を失った日本人は、自分が何者であるかを見失ってしまった。 これは、アイデンティティの危機にほかならないと思います。 いまの日本人は宗教を嫌っています。 宗教という言葉が出ると、汚れたものを避けようとするかのように 遠ざかろうとする。宗教は恐ろしいもの、怖いものと多くの 日本人は考えているのです。しかし、目に見えない世界を畏敬し、 畏れる気持ち、感謝する気持ちは、 アイデンティティをつくるために不可欠なものなのです。 日本の知識人の多くは、ある種のコンプレックスをもって 日本人の宗教観を見てきました。自然のあらゆるものに神が宿るという アニミズムの精神を、未開の宗教だと考えました。 多くの家庭で神棚と仏壇が並存していることを、原始人に近い、 幼稚であいまいで、恥ずかしいことだと受けとめてきたのです。 何に対して恥ずかしいのかと言えば、それは西洋に対してです。 唯一神を信じることこそ近代的な信仰のありかただと考えられてきたからです。 しかし、私はそうは思いません。生きとし生けるものすべてに生命と神が宿る という日本の自然観は、「共存」の思想です。知的財産であり、資源だと思う。 この二十一世紀に必ずや必要となる考えかたです。 長い歴史をふり返れば、私たち日本人は、どの民族にもまして、 自然と宇宙に対しての深い共感を抱いて生きてきたことがわかります。 それが見えなくなったのは、ほんの五、六十年の最近のことにすがません。 日本はよく無宗教の国だと言われたりしますが、こころの深いところには、 強い宗教的感覚がいまでも豊かに眠っていると私は信じています。 日本人のアイデンティティを取り戻すためにも、いま、 あらためてそのことを考えてみる風潮がきざしているのではないでしょうか。」 著者である五木さんの祈りでしょう。 「あらためてそのことを考えてみる風潮がきざし」 この”きざし”に「逆のものさし講」は、知らず知らずの内に 気付いていたのだと思うと、ある意味嬉しくなりますね。(笑) こういう本と出会うと、ドクスメを営業する意味も、 「逆のものさし講」をやる意味も明確になってきました。 北海道、東京、名古屋、京都、広島、福岡と開催している 「逆もの講」ですが、だんだん参加者が少なくなっているので こんなもんかな〜と少々悔しく思っていたのですが、 この本を読んで、やる気が益々力強いものとなりました。 ふふふ。よーし!逆もの講生員が一万人になるまで死なないぞ!(笑) ・・・・・・・・・冗談はともかく、 この本は2014年2月に発売になっているのですが、未だ初刷りです。 一人でも多くの方に読んでいただきたいですね。 日本精神復活のために! これをご覧のあなた! 「逆のものさし講」に入ってね!!お待ちしてますよ♪

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