他力の自由〜変な人達の真の成功法則 [4906917617] :
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他力の自由〜変な人達の真の成功法則

7,452円

柳宗悦著著◆「妙好人」という言葉をご存知でしょうか? 先日「逆のものさし講」で「妙好人のことば」という本を 選定本にしましたが、この「妙好人」って日本が誇る実に 素晴らしい人たちのことを総称する言葉なんです。 「妙好人」とは、妙(変)なことをいったり行動したりすることが 好きな人のことです。というのはわたくしのかってな解釈です。(笑) 世俗的な意味は、浄土系の宗教の篤信者のことで、特に 字が書けなかったり読めなかったり、学を必要としない 片田舎に住む貧乏でも幸せを常に感じ生きている人たちのことです。 しかし、特に宗教に入っている入ってないなど関係なく、 すべての出来事を良き事と足らえる人のことと言っていいでしょう。 もっと言えば、普通の人?からみたら見事に逆モノ的発想を する人たちです。 特に何かの修行をしたとか、教典をたくさん読んで研究して悟りを得る。 こういう過程を経て悟に至るのが普通だと思われている方がほとんどでしょう。 僕もそう思っておりました。しかし、妙好人はそういったこととは無関係に 信じる力を徹底的に信じ悟りと同じ境地にたってしまうのです。 斎藤一人さんがよく言われるように「困ったことは起こらない」や 「想像も出来ないほどオレはついている」など、 こう言った言葉を絶対的に信じる、これと同じなのでしょう。 でも、私たち現代人は中々そういったことを信じることが簡単に 出来なくなってしまっています。信じることのパワーをもう一度 取り戻すことが今の日本人にはとっても必要なことではないでしょうか。 人と人が疑いあう。これではあらたな物事を創造することなんて できやしませんよね。 妙好人たちはすべてが普通と思われていることと逆です。 ある妙好人の男が、けつまずいて手が血まみれになりました。 それを見ていた人が「あら、たいへんひどい目にあって気の毒だね」 と、いわれてこの男は「なにをいっている。本当だったら腕が折れるところ だったのにこれで済んだとはなんと有り難いことだ」と答えます。 またある男は自分の畑に見知らぬ男が馬をつれて侵入し、 かってに男の畑の野菜を食べさせていました。それを見た妙好人は 「そこの野菜はまだまだおいしくないから、それよりこっちの畑のモノを 食べさせてあげな」と言ってしまいます。これは嫌味でいっているわけでは ありませんよ。 こういった人たちがかつての日本にはたくさんいたようです。 でもね、先日ドクスメにいつも集荷に来てくれている郵便局の 若いお兄さんが、バケツの水をひっくり返したような豪雨のとき、 ぼくが話しかけました。 「こんなひどい雨の中、集荷にきてくれて申し訳ないね」 というと、その彼、こう答えたのです。 「いえいえ、大変じゃありませんよ。ぼくだけに雨が降って いるわけじゃありませんから」 これには驚きました。またドクスメの近所の定食屋さんに、 ものすごく暑い日に出前を頼んだとき、親父さんが届けてきてくれた時に 「こんな暑い日に出前なんて頼んじゃって申し訳ありません」と言ったら、 「商人が暑いの寒いのって言っちゃーいらねぇーよ」とのお応え。 ん〜、かっこいい!!(笑) 日本にはまだまだ妙好人がいる!そう確信した出来事でした。 道徳や倫理の上位にある信仰心という信じる力をもっと磨きたいし、 妙好人のことをもっと身につけるために何かいい本ないかな〜と 考えておりましたら、すっごいとびぬけの本を見つけることが出来ました。 その本の書いてあった一部をちょっとだけ下記にご紹介しましょう。 「昔むかし、妙好人のある夫婦が夜寝ていますと、急に嵐になってきました。 ひどく雨風が戸を叩く音で主人が目を覚ましました。 その時、ふと思い出した事は、御本山の建物であります。 御本山とは京都にある本願寺を指します。 もしこの嵐で御本堂でもいたむような事があっては大変だと思いました。 とても心配になって、側に寝ている妻を起こし、 「東風がこんなにひどくなって、西方にある御本山に万一にことが あっては大変だから、何とか風を留めよう、お前も起きてくれぬか」。 妻も「ほんまにこれは大変なことになりました」 と言って、二人共起き上がりました。 主人は出来るだけ大きな風呂敷を探すように、妻に頼みました。 さて、二人はそれを抱えて、嵐の烈しい外に出ました。 二人は話し合って、すぐ裏の一番高い丘の上に登りました。 そうして夫婦で風呂敷の四隅をしっかり手で持って、御本山の方へ それをあてて嵐を喰い止めようとしました。 寒い冷たい雨風も忘れ、ともすれば倒れそうな躰をやっと支え、 嵐の静まるまで立ちつくしたと云います。 名号を称えながら、 「これで少しでも風当たりが減れば有難いのう」、 「ほんまに」、 そう話し合って、家に戻った時にようやく夜が明けました。 この話が、いつとはなしにその界隈に広がりました。 評判は二手に分かれました。 一方の人々は 「何て馬鹿な奴どもだ、たかが風呂敷で大風が止まるものか、 考えてもみろここから京まで五十里もあろうが、ここが嵐でも、 京はそうとは限るまい。長い間雨風に打たれて風邪でも引いたらどうするのだ」。 こんな話に悪口を浴びせるのは、いとも易しいことです。 如何にも常識はずれの行いでありますから。 ところが一方では、とても感じ入る人々が出ました。 「有難い同行だ、吾々の信心はまだまだ足りない」、 つまり、何故だかとても説明が出来かねるのですが、 何かしらひどく心を打つものがあります。そうして、 この話は有名になって、後年その丘に碑が建つに至りました。 そうして今でもこの碑にお詣りをして手を合せる人が絶えないと申します。 それを嘲り罵った人々は、合理的に優れていても別に尊敬は受けませんでした。 これは馬鹿で、馬鹿でない話ではないでしょうか。」 いかがでしょう? この夫婦かっよくないですか? この他にも妙好人についてものすごく書かれた奇跡の本はこちらです! 現代は益々合理的になっていくことでしょう。 それはそれで便利でいい世の中なのかもしれませんが、 失われていくモノも確実にあるっていうことを忘れたくないですね。 仏教の世界には自力と他力という二つの道があります。 自力の道は頑張って頑張って悟る道です。それは知の世界です。 他力の道は、自分一人の力なんて無力なのだという 自覚の元、起こる出来事はすべて良くなるために起きることだと 信じきることです。これは情の世界です。 日本人は明治の時代から自力の道で突き進んできました。 しかし、そのために優秀な人や心優しい人などが、 うつ病になっったり、引きこもりになったり、もったいない現象が 起きているのだと思います。自分も信じ、他人も信じ、すべてを 信じきる他力の情の世界がいまとっても必要ではないのでしょうか。 著者の柳宗悦さんに素敵な本を残してくださって 手を合わせたい気分です。 「異時因果」と「同時因果」という言葉もこの本から知ることが出来ました。 「異時因果」というのは、自力の世界で、良いことだったり悪いことだったり、 その原因が、時間がある程度経ってから果という結果が現われます。 ゆえに、求める幸せが得られのに時間がかかるのです。 「同時因果」というのは、良いこと悪いことを思った瞬間に果という 結果が現われることをいうそうです。こちらは他力の世界の話で、 ゆえにいつも良いことに心掛け、いつでもどこでもなにが起きても 幸せな世界に住むことをいうのだそうです。 ならば、「同時因果」の世界の住民の方がよさそうですよね。 この本には、そのあたりのことも、これでもか!っていうくらい 教えてくれたいます。「情」という信じる世界をどうかぼくといっしょに、 この本で磨いていきませんか?

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