死者との対話---生と死のコペルニクス的転回に加担しよう! [4798701318] :
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死者との対話---生と死のコペルニクス的転回に加担しよう!

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【2016年6月の成幸読書に決まりました!】若松英輔著◆この本に一人でも多くの人が出会えば、 けっして大袈裟や誇張ではなく、 死生観のコペルニクス的転回がこの日本で 起きるに違いありません!!! かつて、飯田史彦著【生きがいの創造】を 読んだとき以来のショックをこの本に受けてしまいました。 【生きがいの創造】という本は、生まれ変わりの科学に ついて書かれた本ですが、事実を検証してあくまで 論理的にせまった内容でした。この本を発見し、 17年前、斎藤一人さんにオススメしたら 「これをみんなに教えたかったんだよ」と言われ、 当時それこそ山ほどご購入いただいちゃいました。(笑) この本は書名通り「死者」について書かれた 本なのですが、過去のそれこそ世界中の哲学者や、 いろいろな本の内容を引用しながら「死者」について 書かれています。 「死と生」とは、人として生きたいる限り、避けて通れない 問いであり、私たち現代人がいまもっとも考えていない 事柄ではないでしょうか。いや、考えていたとしても、 この本では、死が実在であって生は虚構であると書かれているんです。 私たちは普通、死を向えればそれで人は終わりだと 思っていますが、そうではなく死者はいなくなってしまうのではなく、 またどこかにいっちゃうのでもなく、 しっかりと生きている者のそばに寄り添って存在しているということが 事実なのだと、著者の若松さんはそれが当然だよ! と言われるのです。 「死者をありありと感じる一群の人々が いて、彼らがそれを真摯に語ったとしても、 それにふさわしい態度で受け入れる者が少ない、 それが現代です。 現代が死者を封じ込めてきたのは、科学がその存在を 証明できないからです。しかし、よく考えてみると、 科学的証明が可能か、という問い自体が間違っていることに気がつきます。 科学はもともと「死」を境に、その線を超えた 領域での出来事を自らの守備範囲としないと宣言している。 ある一つの考えに過ぎません。 科学が不完全であることは、日々、進歩していることからも 明らかです。完全なものは進歩しません。 ですから科学が死者の存在を証明できないということは、 それが存在しないこととはまったく関係がありません。 (中略) 現代人は、自分の問いそのものがまちがっているかも しれないとは考えない。自分の問い方は常に正しいと思っている。 あの人は、自分の目の前からいなくなったんだから、 存在しない、確かなのは、喪ったことと癒されない悲しみだけだ。 死者なんていない、だから、こんなに悲しいんじゃないか、 そう思い込む。私もそうでした。でも、本当にそうでしょうか。 死者はいる、死者は私たちのそばにいる、ときに私たち自身よりも 近くに存在している、と今は感じています。 そして、死者の臨在をもっとも強く実感させるのは「悲しみ」です。」 いかがでしょう。 現代は「科学万能」ということを信じて疑わない。 なにかのあやしい宗教に似たにおいも感じる時があります。 岡潔がいう「情緒」も目には見えませんが、 もっとも大切にしなければならないと40年前から警鐘を 鳴らしています。引き続きこの本の一部をご紹介します。 「もし、私にイエスのような不思議な力があって、からだに ふれるだけで病気が治せたとします。すると人々は私を賞賛し、 奇蹟を起こしたというかもしれない。 しかし、よく考えてみると元にもどっただけなのです。 苦難、苦痛を経験しているわけですから、単に元にもどった というのは言いすぎですが、このとき私たちに示されているのは、 病が癒えたという奇蹟と同時に、病む以前の状態もまた 「奇蹟」だったということです。 しかし、誰も毎日の生活を「奇蹟」だとは言わない。 あまりに日常化しているからです。それを失ってはじめて、 その貴重さが分かる。ですが、失うというきびしい経験を経ずとも、 日常が奇蹟であることを実感することはできます。 そのもっとも端的な契機が、死者と共に生きることだと思うのです。 むしろ、私たちが、こうして死者たちと共にあり得ることの方が、よ ほど奇蹟的ではないでしょうか。 病が癒えただけでなく、死んだ者と再び生きることができるのです。 それは万人に、無条件に開かれている真実の奇蹟です。」 実はわたくしも死者と共に生きると信じておりまして、 数年前に亡くなった熊本におられた尊敬する先輩の写真を 毎晩ながめています。その写真には「大丈夫!なんとかなる!」と 書かれていて、いつも勇気という力を湧き起こしてもらっているんです。 他にも、志を同じくして、先に亡くなった友人の霊を いつも意識するようにしているのです。 さて、引き続きもうちょっとだけ本文からご紹介しましょう。 「死者の姿が見えないということは、 その実在をなんらおびやかすことではありません。 今日は雨で空は曇っています。曇っているから太陽は見えません。 私が今、空を見上げて、太陽が消えてしまったと騒ぎだしたら、 皆さんはどうお感じになりますか。 太陽が見えないからといって、太陽がなくなったといってはならないように、 死者が見えないからといって、死者は存在しないといってはならない。 太陽が見えなくても、光が見えているから太陽を感じることができる、 と反論されるかもしれません。 死者も同じです。私たちは死者を光として感じることができます。 光は、いつも明るく輝いているとはかぎりません。闇もまた、 光の姿の一つです。 闇とは、光が失われた状態ではなくて、光が一点に凝縮している状態です。 ですから、闇を感じるとき、私たちは同時に光の存在を 感じることができます。私たちの感覚がそれを認識できなくても、 魂はそれを知っています。」 ”精神”というモノも目に見えません。 しかし、目に見えないという理由で”精神”という 大事なモノを無視し、置き去りにしてきてしまったのが 現在の日本です。若松さんがこの本で言われていることこそが 信司であると思いますし、そうでなければ歴史を知っても 本当の意味で役に立ちません。「英霊」という言葉の意味の 理解出来ない日本人が多くなってはいないでしょうか。 死者と共に生きているのだということが、常識と多くの方が 思えるようになったとき、私たちは精神を取り戻し、 後世の人の為に一生懸命働くことが出来、生きがいを感じながら 日々人生を謳歌することができるのではないでしょうか。 心の病や自殺なんていうモノもなくなるでしょう。 生と死に関する「コペルニクス的転回」が急務だと この本に出会って確信いたしました。 皆様もぼくといっしょに、 この転回に加担しませんか? うふ♪

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