私と福澤諭吉 小泉信三エッセイ選 2 [4766423846] :
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私と福澤諭吉 小泉信三エッセイ選 2

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小泉信三 山内慶太 神吉創二 都倉武之 松永浩気◆福澤諭吉の膝下に育ち、慶應義塾長を長く務めた小泉が描く、追憶の福澤像の数々。近代日本の偉人を温かい眼差しで見つめ、独立自尊の精神を継承する。 「福澤先生のエライところはどこだったろう」と私はいった。「それは愛よ」(「姉弟」より)―― 「2 私と福澤諭吉」は、幼少期に傍でみていた福澤諭吉を個人的に追憶する随筆から、歴史的資料を精読して研究者の視点で福澤を描いた小論まで、数々の福澤像を描いた文章をバランスよく編集。慶應義塾ひいては近代日本の一つの思想体系をあぶり出す。 〈主要収録エッセイ〉 姉弟/師弟―福澤諭吉と私の父―/つむじ曲りの説/ 抵抗の精神/福澤先生が今おられたら/佐藤春夫/父として の福澤先生/大隈重信と福澤諭吉/ 福澤諭吉と北里柴三郎/文字による戯画/ 福澤と唯物史観/帝室論/福澤研究の方向について。  本文から少々、以下お読みください。    何事によらず他に逆らい、人が右といえば左り、白といえば黒というつむじ曲りも厄介なものであるがまた、人のいうことは何でもすぐ従い、殊に権勢者の意を迎えて先棒をかつぐ、素直過ぎる人間ばかりでも国は困ったものである。「長いものには巻かれろ」とか「泣く児と地頭に」云々とか、日本には古来迎合主義の教えが多すぎた。争臣なければ国危うしという。戦争は日本の国民があまりに柔順で、つむじ曲りがあまりに乏しかったために防ぎ得なかったと謂えるであろう。憲法があり、議会があり、新聞雑誌がありながら軍人の横暴を、するままに任せて置いたのは誰れか。立憲国民がこれを制止しないで、一体他の誰れが制止するというのであるか。今となって軍人官僚を攻撃する前に、国民自身にもこれだけの反省はあって好い筈である。  今後、個人としても国民としても、明らかな認識、正しい洞察は何よりも大切であるが、それとともに、時としては曲るつむじも是非用意して置きたいものである。  明治時代のつむじ曲りを数えるとなれば、私は先ず福澤先生に指を屈する。先生を一個のつむじ曲りとのみ見ることは勿論当らないが、先生がよく人が左りに走るときに右を指さし、右に傾くときに左りに曳くということをしたのは間違いなき事実である。それは先覚者警世者として当然の用意でもあった。譬えば船の左りに傾くときに乗客が揃って皆な左りによろけ、右に傾くときに右によろけたら船は 顛覆するであろう。その際船の安全を思う幾人かのものは、故 らに衆客と反対の側に動く必要を感ずるであろう。先生の或る場合の議論には明らかにこれに類する用意に出でたものがある。しかしそれと同時に、先生は不羈独立の気象と癇癪から、屡々明治の勢力者に対して本気につむじを曲げた。ひとり自ら曲げたのみならず、 屡々 あまりにも素直な日本の民衆を腑甲斐なしとして罵った。かの『学問のすゝめ』の一節に平民の卑屈を鳴らして「目上の人に逢へば一言半句の理屈を述ること能はず、立てと云へば立ち、舞へと云へば舞ひ、其柔順なること家に飼たる痩犬の如し。実に無気無力の鉄面皮と云ふ可し」といったのはその一例である。  先生はこの精神を称して或いは「抵抗の精神」といい「瘠我慢の主義」といい、また「曲を被りて之を伸ばさんと欲するの志」ともいった。抵抗の精神という言葉は、先生が「明治十年丁丑公論」と題し、西南戦争の直後、西郷隆盛の志を弁ずるために書いた一篇の文章に用いられ、よく先生の本志を現したものである。  先生はいう。およそわが思う所を行わんとする専制は人間の本性と称しても好いものである。これを防ぐの途はこれに抵抗するより外はない。「世界に専制の行はるゝ間は之に対するに抵抗の精神を要す。」抵抗は文をもってするものがある。武をもってするものがある。或いは金をもってするものがある。西郷は即ち武力をもってしたものであって、その方法はわが思う所と異なるけれども「結局其精神に至つては間然すべきものなし」と。  先生は西洋文明導入の第一人者であったが、同時に反面において、この文明が無気力懦弱の人間を造ることを恐れた。さればいう。「近来日本の景況を察するに文明の虚説に欺かれて抵抗の精神は次第に衰頽するが如し。苟も憂国の士は之を救ふの術を求めざる可らず」と。同じ頃書かれた『通俗国権論』という小冊子の一節でも、先生は人間如何なる不義理をしても、どんな恥をかいても必ず畳の上で病死すると決したならば「即日より其生は禽獣の生となり又人類の名を下す可らず。孟子巻之四告子の篇に義と生と二者兼ね可らず、生を捨てゝ義を取るの論あり、就て見る可し」といった。  有り来りの解釈によって先生を功利主義者、実用論者とのみ見ている批評家は、これを読んで意外に思うであろう。しかしこれが福澤先生の真面目であった。  しかし「文明の虚説に欺かれて」次第に抵抗の精神を失うことは何時の世においても戒めなければならぬところである。それは目前一日の安きをぬすむ心から発する。また義を見て敢えてすることを懶しとする心と相通ずる。わが心の命ずるところに耳を傾けることを厭う心とも接しているであろう。  何事によらず、他に逆らい、一々異説を唱えるつむじ曲りが互いに角目立つ世界も有り難くないが「目上の人に逢へば一言半句の理屈を述ること能はず、立てと云へば立ち、舞へといへば舞ふ」柔順なる人民ばかりでは国の前途は心細い。今にして先師福澤諭吉先生を憶う。

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