善を行うに勇なれ 小泉信三エッセイ選 1 [4766423839] :
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善を行うに勇なれ 小泉信三エッセイ選 1

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小泉信三 山内慶太 神吉創二 都倉武之 松永浩気◆今上天皇の御教育係、戦時の慶應義塾長であった小泉の、日本のモラル・バックボーンとなる数多のエッセイを厳選。「当代の文章家」による、21世紀の今もなお心に響く六十余編。 「1 善を行うに勇なれ」は、戦前・戦中の苦難の時代の慶應義塾長として、また戦後、日本を代表する言論人として執筆した、数多のモラル・バックボーンとなる文章に加え、東京オリンピック、皇太子殿下(今上天皇)に関わる現代史の証言として価値の高いエッセイ六十余編を収録。 今こそ読まれるべき「勇気ある自由人」小泉信三の言葉の数々。 〈主要収録エッセイ〉 小恍惚/戦時の花/燈台守り/スタンドプレエ/晴天の友/ みんな勇気を/徳教は目より入り、耳より入る/国を想う/ 愛国心/気ままへの阿り/寛容と規律/ペンと剣/学生に与う/ わが願望/塾の徽章/塾生諸君に告ぐ万年の春/ 東京五輪の自信と教訓/この頃の皇太子殿下。  本文から少々、以下お読みください。    「みんな勇気を──許すまい小暴力──」 は異常の反響を呼んで、それにたいする投書は前後八百通を越え、珍しいことに、反対や冷評の投書は一つもなかったという。  それは当然であろう。それは人々が常に心に思い、いわんと欲していわなかったことを代わっていったからである。たとえば会議の議場などで、正しい主張ではあるが決断を要するような提議がなされた場合、一瞬、人々が顔を見合わせているようなとき、一人が敢然率先して拍手すれば、人々はこれに応じ、やがて嵐のごとき満場の喝采となるという光景は、折々見るところであるが、「みんな勇気を」と、それにたいする反響にも、まま似た趣きがあったと思う。それは産経新聞の近年のヒットであるが、しかし、誰れのヒットなどということは問題ではない。誰れが最初に拍手したかということよりも、満場の拍手が起こったというそのことが、何よりも喜ばしい。  「みんな勇気を」とは好い題名であった。しずくのような泉の水が集まってやがて大河の流れとなるように、人々のほんの少しばかりの心がけと勇気が集まって、やがて明日のよりよき社会生活を築くことができるとしたら、それは実にやり甲斐のあることといわなければならぬ。  自分の経験を語るのはおこがましい次第だが、先年大学の長をしていたころ、学生の日常の心がけについて幾条かの注意を与えたことがある。その最後の結びの一条は   「善を行うに勇なれ」 というのであった。それは私としては見るところ、感ずるところがあって、特に掲げた一句であった。私の見るところ、学生たちはみな理非や善悪の弁別は明らかである。ただ往々にして自ら善とするところの実行に尻ごみする嫌いがある。瑣細な例だが、坂路に車を曳きなやんでいるものがあるとする(このごろはこういう光景を見ないが、そのころはよくあった)。学生たちはそれを見て、気の毒に思い、心の中では援けてやりたく思う。しかし、飛び出して行って後押ししてやることにはためらうのである。それは無情のためでも、冷淡のためでも、労を吝むためでもなく、ほんの少しばかりの勇気の欠乏による、と私は見た。善いと思ったことをなぜしないのか。ほんの僅かばかりの踏み切りをなぜ躊躇するのか。「善を行うに勇なれ」と私はいったのである。  汽車や電車に乗る。席がなくて老人やこどもや病人が立っているのに、活きのいい若いものが深々と腰をかけて、それを黙って見ている。中にはシツケが足りなくて、真実老人や病人には席を譲るべきものだという、初歩の心がけをも持たないものもあるであろう。しかし、そればかりでなく、譲るべきだということは充分承知しながら、なんとなく面はゆく、億劫で立ちかねているものもたしかに多いのである。ここでも善いと思ったことをなぜしないのか。二十余年前の当時、私はそれをいいたく思ったのであったが、今日もそれをいいたく思う。  さて、すでに車中で座席を譲る人は、また他人の迷惑や苦痛をも傍観しないはずである。車中で明らかに規則に背き、あるいは小暴力によって見す見す人を迷惑させているものがあるとする。それに注意することは、立って人に座席を譲るよりはむずかしいことであろう。しかし、老人やこどもならば知らず、一人前の男が、それを目前に見ながら見ぬふりをして、さわらぬ神にたたりなしと、ひたすらまきぞえを食わぬことのみ心がけるというのでは、情けない。  簡単に非行者をつまみ出すということは、それは誰れにも容易にできることではない。それはその場合場合によって考えなければならぬことであって、温言をもってなだめるなり、係員や警官に訴えるなり、あるいは大声を発し、同乗の衆客に訴えてその賛同を求めるなり(このような場合、声を合わせて応じる心得は肝要)、その方法手段は当然様々であるべきだが、兎に角黙って傍観しているべきでないということは、平生の心がけとして用意を持つべきであろう。勿論個々人の力は微弱であるから、どんなに心がけても力が及ばず、見す見す人の困厄を坐視しなければならぬというような残念な場合も起こらないとはいわれない。けれども、そのような場合、それを当り前のこととはしないで、残念だと思う心だけは失ってもらいたくないものだ。自分で自分をゴマかさないで、他人の困厄や公益の侵害を傍観したことを恥じる心だけは失ってもらいたくないものである。  怯懦を恥ずる心、それは人々のすでに各々胸に抱くところのものである。私はわが同胞が、殊にわが同胞青年が、すでに抱くこの心を、忘れずに温め育むことを切に願う。  古今の聖賢はすでに久しくそのことをいっている。   「義ヲ見テセザルハ勇ナキ也。」  二千数百年前の孔子の言葉は、今でも常に新しい。

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